2015年06月06日

下関知的障害者施設虐待を観て

 多角的に観なければいけないこの事件。

 まずは人権という視点から「障がいのある人の尊厳」について、もっともっと啓発をしていかなければならないということ。悲しいかな特別支援学校の中にだって、小さな火種はある。子どもと納得し合いながら前に進むこと、子どもと一緒に学校生活を作り上げていくこと、細かな所では呼び方、その声色、表情。その一つ一つが「障がいがあるからという理由で損なわれる」ことが無いようになっていくと良いな…と感じましたし、自分自身もその一つ一つを大切に大切にすることによってナチュラルに自分の周りから人権意識を高めていければと感じました。

 二つ目。仕事量少なくリーチできて、使うと効果が高い方法や、支援具、教材の充実について。特別支援学校でもそうですが、この意識が少ないと、結局昔ながらの小学校で行われていた「厳しく指導する」が横行して、子どもたちが萎縮して、効果が上がったように見えてしまうことがその先生を強化してしまって、その先生はそこで得た「厳しく指導することは正義だ」という信念をもってしまうという悪循環。「悪いことを下から叩いた、叱責した、指導が行き過ぎた」。ただ単に暴力を否定することに留まらず、体罰や虐待の裏には他の方法を知らなかった、ないしは知っていたけれど、自分自身のゆがんだ正義を疑うことをしなかったということにも問題は隠れています。

 三つ目は、家族が知的障がい者施設に通う者としては、非常に不安になるニュースでした。一時的な抑止力、ないしは議論のきっかけとしても刑事事件として大きく取り扱って欲しいし、議論されて欲しいと感じました。

 以下に動画と関連資料を掲載します。



『障害者福祉施設等における障害者虐待の防止と対応の手引き』平成27年3月
厚生労働省 社会・援護局 障害保健福祉部 障害福祉課 地域生活支援推進室
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12200000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu/0000079704.pdf
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2015年05月30日

その「叱り」って、本当に効果でていますか?

「たまには叱ることも大切」
「しっかりと叱らないと躾にならない」
「10褒めて、1叱る」

などの江戸時代から伝わるであろうことわざの下に、

「今日は叱りつけたからこたえていると思いますよ」
とか、
「悪いことだと思ったんじゃないですか、叱られたんだから」
とか、
「あれは叱らなければいけない場面でしたね」
とか、
訳のわからない主観的な評価が成されて(これって、往々にして叱った側の大人の自己肯定や自己強化だったりする訳だけれども…)、ただ大人がスッキリしているだけの叱りが横行しています。

そもそも、叱ることって「行動を変えること(行動変容)」が成されるか、成されないかの評価が命のはずなのに、

「悪いことをしたら叱られるものだ」

というステレオタイプが先行して、評価が落ちがちです。(学校の先生でもこのステレオタイプで止まってしまっている人、多い印象があります)

さて、そこで一つ、考えて欲しいのです。

その叱りって、本当に効果出ていますか?

次回の行動を変えられるだけの効果を、その叱りはもっていましたか?

叱るより、他の方法の方が、効果が高いんじゃないですか?

叱って、全てを否定するだけのことだったでしょうか?

全てを否定して叱ることが必要な場面がゼロと言っているのではないのですが、そこまでして、子どもの自信や子どもとの信頼関係、その場にいる人の心の安定などその全てを投げ打って叱るだけの機会って、そうそうないのだと思うのですが…。

叱ることは簡単。でも、いかんせ、効果が出にくい。

指示が感情的で、抽象的になりやすいから。
本当ならどうすればよかったのかの迂回路が示されにくいから。
次の主体的な行動には繋がらないから。

その叱りって、本当に効果出ていますか?

支援者である自分をスッキリさせるために、自分のヒステリックさのために、自分の短気のためにそれを出しているのであれば、効果のない、ただの体罰と紙一重なのだと自分を疑う機会を大切にして欲しいし、自分自身も引き続き気をつけていきたいと思っています。

支援者である自分がイライラしているだけなのなら、帰りにカラオケでも寄って帰れば良いし、美味しいもの食べて帰ればいいし、タバコ吸って帰ればいいし、ビール飲んで忘れればいいんだ、と。
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2015年05月17日

教育しているつもりに陥ってしまう「言語指示多投」の罠

自戒を込めて。

「おはよー。じゃあ、まず連絡帳を出して」
「ハイ次は水筒」
「カゴを持って」
「何やっているの、早く着替えて…」


 逐一、子どもが次に行う行動を先回りして出されているような言語指示。言っている方は、ややもすると

「適宜、適切な指示を出すことができている」

 と自己満足に陥ってしまいがちですが、とんでもない。こうやって指示を出し続けて、「その大人の指示なくしては動くことができなくしてしまうこと」は、自立とは逆行させているよね…と思うのです。大人が子どもを従わせているだけ。

 「自立」へ向かえるようにする支援とは、必要な時に適宜助けを求めながらも、首尾よく成し遂げられる環境の中で、物事を成し遂げ、豊かな生活を送れることを支えること。決して「言われたことの通りに物事をこなすことができる」という、体良く「従う」ことへ向かう支援ではないです。言語指示のやたら多い支援者は、自立とは逆行させている。「わかって、できる」ということは即ち「自立」を目指せるようにすることであり、「身近な大人の指示なくしては動けない状況」にあるのならば、従属させていると。

先日「叱らない支援」は本当に合っているのか?という貴重な投げかけをいただきました。

 「叱らない教育」自体が合っているのではなくて、

「自分で次にやるべきことがわかっていて、やって、それが嬉しいと感じている」
「自分で目標をもつことができていて、それに自ら向かえている」
「環境設定の下に子どもが自らそういうのができる」

 などが「叱らない教育」だろうと。何の準備・配慮もなく教育しながら叱らないっていうのは違うだろうと。…っていうか、その状況下で叱られるとしたらむしろ準備・配慮を何もしていない支援者の方だよね…と。…そもそもアセスメントを取ってみると名詞理解、動詞理解ができていない子に言葉の雨あられが降っているという恐ろしい自体も有るわけだけれども( ;´Д`)

 
支援する側は教材をたくさん作って、あとは黙る。


 子どもは決して「従わせる対象」ではない。子どもは自ら学び続ける主体である。

 言語指示を多投する支援者は「ヘタクソ」だし、その子を自立を遠ざけているんだぞーなんて、最近研修でお話をする機会も多いので、より強く思っています。

 自戒を込めて。

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2015年05月06日

「私はお花屋さんとお嫁さんになりたいんです」から始まるキャリア教育

もう、6年以上も前の話になりますが、当時、隣のクラスの女の子に

大丸1大丸1︎さんは卒業したら何になりたいの?」

と聞いたら

「私はお花屋さんとお嫁さんになりたいです」

と教えてくれたのを最近よく思い出します。その時にはおそらく

「そっかー、良いねー。先生の中だとどの先生がタイプなの?桑村先生?」

などと不謹慎な返し方をしてしまったと思われるのですが(無念…)、今、考えてみるともっともっとこの女の子の将来へのねがいに寄り添って、一緒に将来に向かっていくことができたんじゃないかな…と思うのです。

「お花屋さんになるにはどんなことができるといいかな?」

大丸1大丸1︎さんは、笑顔が素敵だから、その笑顔は大切にしていこう」

「お花屋さんになるには何がヒケツか一緒にお花屋さんに聞きに行ってみようか」

「お嫁さんになるには何がヒケツか、学校の先生たちに聞いてみようか?」

などなど。目指すべきものがあって、それに向かう意欲があって、現実に一歩一歩ではあるけれど、それに進んでいく。障がいがあることによって、ウサギの歩みでは目標に迫ることは難しいかもしれない。でも、愚直な亀で良いから、一歩一歩進むことで、確実に目標に迫ることができるし、それによって自分を成長させることができるんだよ、と。それこそ、基礎的汎用的な能力に係る事柄であり、キャリア教育の根幹を成すものだと。

そして、ゴールを迎えた時に、障がいの有無なんて関係ないのだと。知的障害だなんて、ただの知的能力の個体差の連続体の話であって、努力したり「助けて」と言えるようになることによって如何様にもなるものであり、何の職業でもなれる、結婚もできるのだと。

子どもがなりたいもの、目指しているものをもっともっと大切に、一緒に寄り添ってゴールに向かっていくことができれば…と考えています。
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2015年05月05日

子どもも自分の目標がわかって、それに向かっていくことができるようになるような工夫も

個別の指導計画とにらめっこ。どうやって、お母さん・お父さんと、子ども、もっともっと言えば、一緒に組んでいる先生や学校中の先生たちのやる気スイッチをONにするかを考えています。その中で、子ども本人と目標についてを少し。

これからご家庭と相談しながら定めていく目標たち。子どもに目標は伝えずに、楽しく生き生きとした活動の中でいつの間にかできるようになって行くような目標もあるし、あらかじめ目標を子どもと確認して、そこに一緒に向かっていく目標もあるよね…なんて思っています。例えば、集団社会性に関わるような、友だちと仲良くするというような目標は本人には伝えないような目標だけれども、名前がひらがなで書くことができるようになるとカッコいいよね〜みたいなことについては、もっともっと伝えていいってもいいのかな…と。

自分で目標を決めて、自分で自分を磨いていく人材の育成は第2期教育振興基本計画でも目玉になっているところですし、本人のしたいこと、なりたいことを大切に、それを目標として子どもが自ら成長していくことができるようにしていくことはキャリア教育の根幹を担うことでもあります。

 目標をもって、それに向かっていく。そして、それを達成する心地よさや爽快感みたいなものも十分準備をした上で感じられるようにできていくといいな…なんて思っています。

 
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2015年04月30日

『ありのままを愛することと精神的自立』

この週末は生活単元学習と自立活動の歴史を見合わせてみたり、ICFの書籍を改めて紐解いてみたりしていました。
「教科教育は突き詰めれば突き詰めるほど、高度に分化していくが、生活中心教育は突き詰めれば突き詰めるほど生活の豊かさの追求に迫る」
「自立とは主体的に自己の力を可能な限り発揮し、よりよく生きていこうとすること」
 など、大切な理念に改めて触れることができました。
 また、改めて子どものありのままを愛することの大切さと、子ども自身が自己決定を繰り返す中で精神的に自立していくことを支えるということ、が私の請け負っていることなのだ…と感じました。
 アレもできるといい、コレもできてほしい…。そう思うこと自体は悪くないのですが、それは行きすぎると、
「あなたがなるべきは、『今のあなたではない』、私(支援者)が考える所のもっとすばらしいあなたなのだ」
 ということになってしまいます。子どもの今の姿を否定することから始まる価値観の押しつけが「教育」であってはいけないな…と思います。
 子どもが自ら目標をもち、それに向かって自己決定をし、その道筋では首尾良くやり遂げる中でたくさんの学びが得られるようにできる状況づくりを行い、精神的に自立していくことを支えていく。そんなことが私が特別支援学校の先生という職業をする中で請け負っていることなのかな…と思います。
 子どもの将来の不安を全て先回りしていくことは決して良いことではありません(巷は先々のことは早め早めに!という情報であふれかえっていますが…)。まずは今、目の前の子どもを愛して、その上で、子どもが自己決定すること、自己決定したことを支えていくことが大切だと思いますし、例え、その途中で失敗したとしても、それは子どもの価値とは無関係なことなのだ、と思います。
 無数にたゆたう人生の可能性の中からキラリと光る物を、子どもが自ら探し出し、その憧れに向かう一筋の矢となることを支える存在であれると良いな…と思います。

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熱を逃がすことが苦手な子には…

 夏場になると決まってイライラしてしまう子、夏の水遊びが激しくなる子、服を脱ぎ捨ててしまったりする子にABC分析をした結果、結局暑さが原因だったのか…という時期になってきました。夏場に備えて、以下の商品を買いました。

 首巻き型の保冷スカーフもあるのですが、暑さでイライラしてしまうくらいのお子さんには、このスカーフだけではなかなか上手くいかないことが多い印象があります。この商品の良い所は脇の下にも保冷剤が入る所。また、保冷剤の汎用性が高い所です。冷たくなくなったら次の保冷剤にどんどんと変えられることが大切。

 ちょっとした、グッズ紹介でした。



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2015年04月25日

オススメ本:図工で「1.作って2.遊ぶ」

 久しぶりに読んで「これはいい!」という本を見つけたので、ご紹介です。

 「科学」の本なのですが、著者は元・特別支援学校の教員・校長先生を歴任された方で、特別支援学校の生徒にももっと科学を教えたいという思いから生まれた手づくり科学おもちゃを紹介しています。

 「科学」ですが、図工として取り扱い、「つくって あそぼう」の単元として、1年を通して作る楽しみ、遊ぶ楽しみを伝えていけるような本です。オススメです。

  

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2015年03月16日

「地域の学校に通えていないなんておかしいじゃないか」という感覚を大切に

 特別支援教育研究3月号は「震災復興と特別支援教育」というテーマでの特集が組まれています。被災県の特別支援学校を中心に防災に関する取り組みや提言が紹介されているのですが、その中でも印象深かったのはP9 宮城教育大学附属特別支援学校の副校長先生の「障害のある子どもたちを地域で育てる環境作りが何よりも必要」という記事や、P14三重県立聾学校教頭先生の「地域連携の取り組み」という記事でした。

 特集記事の中では、有事の際に避難所である地域の体育館などに行ったが、大きな環境変化に不安になり混乱する姿を受け入れてもらうことに難しさがあったという実際の声が複数掲載されています。もちろん、そこにハンドブックを作ったり、SOSカードを作ったり、コミュニケーションボードを作ったり…という取り組みは紹介されているのですが、それも居住地域の住民の方々が特別支援教育を理解し共感する基盤があって初めて機能すると読み取れました(特に非常時下においては)。

 どうしても、居住地域から離れての学習となってしまう特別支援学校。そして、所帯が大きければ大きいほど学校の外に足を伸ばして普段着の交流をするということは難しい特別支援学校。埼玉県では支援籍学習の取り組みもできますが、まだまだ利用している児童生徒は一握りであり、その取り組みのみの中で「地域の子どもの一員」 と思われるような成果が出せるかというと、回数の問題もあり、難しさが残ります。

 本来的には居住地域の小学校の特別支援学級で特別支援学校_小学部と同じだけの理解と配慮がなされ、なるべく低学年段階から自然な共同学習を進めていけるのが、「◯◯さん、もちろん知っているよ!一緒に勉強してたから!」となるためにも、 一番なのだと思います。それはもちろん防災の面からもですが、地域で暮らしていくという面からもです。

 特別支援学校の小学部に勤めながらも、いろいろな面から共生社会を考えるとき、特別支援学校の小学部はいずれは無くなっていかなくてはならないものなのだろうな…と思っています。

 今の状態が普通なのではなくて、住んでいる地域の学校に通えていないことは「異常な状態」で、「地域の学校に通えていないなんておかしいじゃないか」という普通の感覚を大切にしていなかくてはいけないな…と改めて感じました。



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2015年03月11日

ありのままを愛することと、子どもの精神的な自立についてをあれこれと

 この週末は生活単元学習と自立活動の歴史を見合わせてみたり、ICFの書籍を改めて紐解いてみたりしていました。

「教科教育は突き詰めれば突き詰めるほど、高度に分化していくが、生活中心教育は突き詰めれば突き詰めるほど生活の豊かさの追求に迫る」

「自立とは主体的に自己の力を可能な限り発揮し、よりよく生きていこうとすること」

など、大切な理念に改めて触れることができました。

また、改めて子どものありのままを愛することの大切さと、子ども自身が自己決定を繰り返す中で精神的に自立していくことを支えるということ、が私の請け負っていることなのだ…と感じました。

アレもできるといい、コレもできてほしい…。そう思うこと自体は悪くないのですが、それは行きすぎると、

「あなたがなるべきは、『今のあなたではない』、私(支援者)が考える所のもっとすばらしいあなたなのだ」

ということになってしまいます。子どもの今の姿を否定することから始まる価値観の押しつけが「教育」であってはいけないな…と思います。

子どもが自ら目標をもち、それに向かって自己決定をし、その道筋では首尾良くやり遂げる中でたくさんの学びが得られるようにできる状況づくりを行い、精神的に自立していくことを支えていく。そんなことが私が特別支援学校の先生という職業をする中で請け負っていることなのかな…と思います。

子どもの将来の不安を全て先回りしていくことは決して良いことではありません(巷は先々のことは早め早めに!という情報であふれかえっていますが…)。まずは今、目の前の子どもを愛して、その上で、子どもが自己決定すること、自己決定したことを支えていくことが大切だと思いますし、例え、その途中で失敗したとしても、それは子どもの価値とは無関係なことなのだ、と思います。

無数にたゆたう人生の可能性の中からキラリと光る物を、子どもが自ら探し出し、その憧れに向かう一筋の矢となることを支える存在であれると良いな…と思います。

担任をさせてもらっている子どもたちにとっても。我が子にとっても。


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