2016年05月01日

自閉症の特性が原因となって見通しがもてないのか、発達段階が原因となって見通しがもてないのか

 個別支援計画を作成する季節です。特に自閉症スペクトラム障害(以下ASD)のあるお子さんへの支援で登場するのが「見通しをもてるように支援をする」(正確に書けばもちろん「Aという時にはBという支援があればCという見通しを持つことができる状態になる」ですが)という記載なのですが、

ASD=見通しをもつことに困難がある

 ということは確かにそうなのですが、認知発達が2歳齢以下のお子さんについては認知発達の緩やかさが「見通しをもちづらい」「切り替えが難しい」と見取れる行動の原因になっていることが多い印象を受けています。

 認知発達が比較的速い、所謂「軽度」と言われる自閉症のあるお子さんと、認知発達が比較的緩やかな、所謂「重度」のお子さんがいて、特に「重度」のお子さんの分析をする場合には、自閉症の特性と一旦分けて、例えば1歳齢、1.5歳齢の発達段階にあるお子さんの見通しのもてなさはどうであるのかを認識して、それに加えて自閉症の特性を考えていくということが大切なのではないか…と最近感じています。

 1歳齢、1.5歳齢のお子さんは普通に考えて、切り替えはすごく難しいですし、自分が思い込んだ事柄と違う事柄に進んだ時に混乱してしまうのは、寧ろ発達段階としては「順当」と捉えられる訳なので…。

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2016年04月29日

力は入れ方が分からないと、抜き方も分からない

 何だか肩が碇っていて、窮屈そうだな…と見ていると、今度は疲れちゃって床に「ぺたん」と寝転がって「はぁ〜」と力を抜くようなお子さんを小学部低学年ではよく見かけます。そういうお子さんには「力の抜き方を教える」という行為が必要になりますが、

「力を抜いて〜」

 といってもなかなか力を抜けない。「よーし、音楽に合わせて力を抜いてみよう!」とBGMをかけたのもよろしく「ほらほら、寝て寝て」と言われて床に倒れることを促されるのだけれども、背面の恐怖もあったりして逆にからだは硬直…なんてこともあるわけで。

 「力を抜く」という行為の手前には「力を入れる」という行為が必要。よく研修会とかで「疲れてきたのでからだを動かしてリフレッシュしましょう!」とか講師の先生が言って、手を前で合わせて力を入れて発散!みたいなことをしますが、あれは全くこの発想です。

 @意図的に力を入れて〜A抜く〜。そんなことを遊びの指導の中で少しずつ取り入れている最近です。

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2016年04月23日

キープサイレントについて

自閉症県にある人を支援する際のポイントとして挙げられるキープサイレント(言語指示少なく支援をすること)ですが、キーワードのみ先行して「ただ物静かに支援をすればいい」と捉えている人も少なからずいる印象があります。

静かに支援をするためには、今まで口頭言語によって行おうとしていた(…でも、口頭言語では効果の薄かった)支援分を、他のより効果の期待される支援方法に置き換える作業が必要で、それなくしてただ突っ立って黙っているだけではいい支援にはなりえません。…当たり前だけど。

また、何らかの行動を増やす時にエコノミーシステムを使うとして、好子を社会的な好子で行うとして(「すごい」とか「えらい」とか)、「褒め言葉」自体の効果があまり見込まれないお子さんにそれを使う時には、平時のテンションと、褒める時のテンションのボラティリティで効果を見込む時がありますが、この褒め言葉までキープサイレントのキーワードの元に静かに(テンション低く)やってしまう人もいて、何だかなぁ…と思う時があります。だったら食べ物とかおもちゃの提示を好子にすればいいのに。まぁ、学校ではこの手の好子の提示がしにくいということもあるのでしょうが。

キーワードだけが先行してしまって、その背景が理解されていないとただのやる気のない先生に見える人を生産してしまっている部分もあるんだろうな…なんて、時々感じることがあります。現在の所属の話ではなく。色々な実践を見て回る際に時々感じることとして。


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