2016年07月26日

今日起きたことについて。

僕ら、障害のある人を支援する立場の者は、障害のある人が、自分の言うことを聞く人の育成を目指すのではない。そういう意味での、良い子、良い人、扱いやすい人の育成を目指すのではない。人から愛される人の育成を目指していて、人から愛される安心や充足をたくさんたくさん感じて欲しいと思っている。たくさんの愛を受けてきた人、これからも溢れんばかりの愛を受けるであろうだった人の命が今日、狂った主張を持つ者の奇行によってたくさん奪われた。障害者施設に最愛の家族を預けている家族として悔しい。悲しい。犯人を幾万本の針で刺して報いを受けさせてやりたい。生皮を剥いでやりたい。「愛さること」に障害の有無の垣根は断じて無い。犯人の発言が読み上げられる度に眉間にしわを寄せ、強く拳を握っている。
怒っている。すごく怒っているよ。今日は怒り狂っている。怒りを力に変えて前に進まなければいけないのはもちろん分かっているけれど。
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2015年10月17日

「壁」ということばについて

歳を取るごとにいろいろなことばの意味合いやその背景にある概念を説明してしたり、伝承したりしなければいけない場面も増えてきています。その中でも、1つ大切だと思っているのが「壁」ということばの説明です。

特別支援教育の分野において「壁」ということばは「取り除くもの」として扱われることが多い印象があります。「バリアー」と等質なことばとして使われることが多いからでしょうか。

○ 人権上の壁を取り除く
○ 物的環境上の壁を取り除く
○ 認知特性から生じる壁を取り除く
などなど。



一方、「壁」を乗り越えることによって成長するという考えも聞きます。大人でいえば、ちょっとできなそうな仕事を乗り越えることによって1つ仕事の仕方を覚えていく、というような。この意味合いでの「壁」は「課題」に近い捉えでしょうか。

○ マラソンで1q5分の壁を練習の末に乗り越えた
○ 勇気を出して話しかけることによって、対人関係上の壁を乗り越えた
○ 一緒にスポーツに取り組むことによって言語上の壁を乗り越えた
などなど。

ちょっと頑張って、何かを乗り越えることによって得られることがある。それは確かにそうなのです。

この2つを分けて考えないと「壁は取り払うべきだ」と「壁は成長を促すには必要だ」という2極化した論争になってしまいます。不必要な生活苦を生むような壁(バリア)は取り除くのが良いし、頑張れば乗り越えることができて、それによって成長が見込まれる壁(課題)は、「ちょっと頑張れば乗り越えられる」という環境づくりをした上で設定をするのがいい。

ことばにすれば簡単に理解できるようなことなのですが、ちょっとしたことによって指導者間の価値観がズレることってわりと多いんだよな…と思っています。

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2015年07月12日

権利保障の進展に準備や配慮が追いついていない場合について。追いつかせることについて

障害のある方の権利保障が進んでいます。例えば、今までは自分が住んでいる学区の小学校に特別支援学級があった場合でも特別支援学校が適当であると判定された場合には、特別支援学校に行かなくてはいけなかったのですが、徐々に本人と保護者の意向によって地域の小学校に通えるようになってきたことや、例えば今、私自身は障害のある人の性教育について一生懸命に調べているのですが、障害のある方の性生活についてもセックスヘルパーなどの著書に現れているように少しずつ権利保障が進んでいます。

さて、ここでダンピングに似た問題を感じることがあります。例えば、普通小学校に配慮がないまま(人的ないしは物的な準備が間に合わないまま)子供たちが入学ないしは編入をした場合、子供は学習上・生活上に様々な支障をきたします。また性生活についても配慮なしに性生活をオープンなものにしてしまうと様々な支障が出てくることでしょう。ここにはやはり合理的な配慮が必要になってくるわけです。

昨今、障害のある方の権利保障のスピードが速いのに対して、準備や配慮をどのように行ったらいいのかという、手法やツールの普及速度がゆっくりであることによって、オープンになった場に配慮や準備が間に合わないケースがある。そこに飛び込んでいってしまうと、結局ダンピングと同じことが起こっているではないかと。(特別支援学級での話を特によく聞く印象があります。)

次々に権利保障がされていくということ自体は大変喜ばしいことだし、障害のある方々の生活が豊かになっていく推進力になると思うのですが、権利保障がなされたことによってオープンになった場の、準備や配慮が間にやっているかどうかということについては注意深く見ていかなければいけないなと思うし、その場に必要な手法であったり、ツールであったりといった配慮や準備をしていく上でのお手伝いができればと思います。

権利保障がなされていく速いスピードと、準備や配慮がなされていくゆっくりなスピードとのタイムラグによって生じる問題についてあれやこれや考えています。
posted by 桑ぴょん at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする