2016年05月04日

学校の先生は「子どもの笑顔」を自分自身の好子としすぎないように注意しなくてはいけないなと…

「子どもの笑顔が好きです」

とは、神の啓示のようなことばなのですが、学校の先生でこれに執着しすぎてしまうと時として不適切な方向への学習を助長してしまうことがあるように思います。

私自身がこのことを多く感じるのがダウン症のあるお子さんへの指導場面です。

ひとえにダウン症のあるお子さんは…とするつもりは毛頭ありませんが、ダウン症を附帯するお子さんは視力の弱さを伴っていたり、聴力の弱さを伴っていたり、手指の運動や感覚の鈍さを伴っている場合が多くあります。誤解を恐れず、敢えて、分かりやすく言うのであれば目や耳から情報を収集することが苦手なために大きなアクションを伴う目や耳から入力される情報を拾いがちで、手を使って外界探索をする場合にも大雑把に、そして強めのレスポンスを期待して働きかけることが多いです。そして、その期待していた大きなリアクションや強めのレスポンスがあった場合に…「笑顔になる」。

先生を強く叩いて呼んだとき、ドアを強く閉めたとき、座り込んで動かなくなった時に先生が「何やってるんだ〜!」と大きな声を出したとき、まるでプロレス技のようにぶつかってきたとき…等です。

笑顔が嬉しくて、笑顔が愛らしくて、子どもが笑顔になってくれるなら、思わず適切な行動かどうかを精査することを忘れて受け入れたり、時として不適切な行動を誘発してしまう。

子どもの笑顔が好きなことは良いこと、美しいことに思えるのだけれども、それだけじゃいけない。

学校の先生は「子どもが好き」であるとより良いとは思うけれど、土台の部分には「子どもを成長させるために支援することが好き」、「子どもが自ら伸びゆけるように状況づくるのが好き」というのが基礎であり、本質であり、土台である、と。

余談ですが、祖父や祖母は味方であると同時に、甘やかしの温床であると言われますが、上記と同様の事象に拠るのだと思います。孫のことが大好きで、孫の笑顔が強力な好子として作用しすぎているので、適切な行動かどうかを十分精査せずして、全てを強化してしまっている。

学校の先生は「子どもの笑顔」を自分自身の好子としすぎないように注意しなくてはいけないなと…「子どもを成長させるために支援することが好き」、「子どもが自ら伸びゆけるように状況づくるのが好き」というのが基礎であり、本質であり、土台である、と思います。

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posted by 桑ぴょん at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 指導・支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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