2015年06月21日

「叱る」ことを指導方針の中心として、般化と維持を行って「マイナス」になるケースについて

ある場所で丁寧に獲得した行動を、人やものや場所を変えても表出できるようにして、それを自ら表出し続けられる様にしていくということは、行動変容を考える際に非常に重要なことの1つです。

例えば、「バイバイ」を教える場合。

身近な人に子どもが「バイバイ」をすると、お母さんや先生は「わー!すごいね!上手だね」と褒めます。子どもは得意になってバイバイをしてくれるようになります。

「ママ、バイバイ」
「先生、バイバイ」


これが進むと、今度は人と場所を変えて、校長先生の前で「バイバイ」ができるようになっていきます。

「校長先生、バイバイ」

すると、校長先生は満面の笑みで

「すごいね、上手だね」

と言ってくれます。場が拡がる。人が拡がる。般化です。

子どもはさらに嬉しくなって、最後には犬や猫やコップやうんちにまで「バイバイ」が言えるようになります。

「そうだね、バイバイだね」

そして、それが長期に亘り持続されるようになる(バイバイは死ぬまで使いますよね)。これが維持です。

これをやっていく際に、「叱る」ことが指導方略の中心になっている支援者が、思いつきで(褒める準備無く)般化と維持を行うと、

「ほらっ、校長先生がいるでしょ、どうするんだっけ?」

と急かされて、もしも「バイバイ」が自発しなかった場合には「叱り」が入って、

「何で、バイバイできないの?できるでしょ?○○くんはバイバイができる。先生は知っている。手を抜かないで!」…orz…。

となってしまうのです。次回も入る

「今日こそはできるよね!」

という、一種の「脅し」。

「般化」に難しさが出ているということが「手を抜いている」ということとすり替えられてしまう。

結局、その大人が怖いから校長先生に「バイバイ」をやむなくするわけだけれども、それって、その先生に怒られるのを回避して「バイバイ」を出している訳なので、その先生がいない場面では「バイバイ」を自発しなくなってしまう。

こうなってしまった子について、再度バイバイを教える際には、もはや「0」スタートではない。「マイナススタート」になってしまう。でも、叱った大人は、叱って行動が表出される(表出させた)ところを見てしまっているので、叱ることが強化されてしまっている。

マイナススタートのことも多いよな…でも、叱り中心の人に「それって、違いますよ」といって、スグに変わってくれるほど、大人の支援も簡単じゃないんだよな…と思い知る日々です。

「あなたとの出会いが、この子にとってはマイナスでした」

ってもし自分が言われたら、立ち直れないな…と思いながら。

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posted by 桑ぴょん at 08:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 指導・支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

調理の際の明朗会計

 先生の「会計事情」も昔に比べるとずっとずっと厳しくなってきています。例えば、当たり前のことですが、調理の材料を買う際に自身のクレジットカードなどを使うことは硬く禁止されています。1ポイントでもポイントが付いてしまうから。1円でも100万円でも着服は着服。明朗会計です。

 でも、途端に緩くなってしまうのが、調理活動の後の「余り」。時間内で調理を行う際に、「余り」が出る場合があります。これをどうするか?

 「全部廃棄するのはもったいない」

 という人もいる。でも、その後に続くのは「先生たちに配ってみては?」という提案。これが、実は問題があるのでは?と思っています。残り分とは言え厳密に言えば、子どもたちから徴収したお金で買った物であり、一種の着服に当たるのではないかと。ならさっぱりと廃棄するというスタンスで今までやってきました。(明朗会計とは別の問題として食中毒の問題もありますし。)

 きっと、そういう方向性でセーフに持っていくのならば、予め「校長先生の分も、食べる以外に作ってあげよう」とか「○○先生の分も作ってあげよう」とかとしておいて、「ハイ、どうぞ」までする学習にするということなのかな…とも思います。

 一時期、コンビニやファミレスで廃棄物を厳密に廃棄するかどうかということが問題となりましたが、食品を扱うバイトの学生でももっている感覚が、実はまだ先生では甘い…なんてこともある訳で。着服は着服。気をつけていかないと、こんなことで懲戒処分になるのでは無いかと。

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posted by 桑ぴょん at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月20日

「教室の外に引っ張り出して叱る」ということについて

このところの虐待・体罰に関する報道や、昨日、Facebookで回ってきた以下のリンクなどから色々と考えさせられることがあって、特別支援学校での日常を頭の中でグルグル…とさせています。

「切れる」だけは我慢して欲しい。
http://fami-lab.com/archives/918

障害者虐待防止法や障害者差別解消法などの法整備が進み、法的には障害のある人の尊厳や権利、もっと身近な所でいえば「安全」が保障されていく中で、なかなか変わらない現場。その中でちょっと気になっていることを。

以下、フィクションとして。

これは色々な特別支援学校でですが、子どもが言うことを聞かない時に、まるで凧でも引くかのようにあっという間に子どもが外に引っ張り出されて指導が始まることがあります。(特に自閉スペクトラム症の子が多い印象)大人も子どもも

「あっ、あの子、ひどく怒られるな」

と分かりながらも、

「言うこと聞かなかったからね」

と。そして、5分後に帰ってくる泣きじゃくる子どもと、やたら優しい先生(スッキリしたのと、叱った罪悪感からか…。)。

僕も若い頃はさもありなんと思っていたけれど、落ち着いて考えてみれば、自分自身、人生の中で教室外にすごい勢いで引っ張り出されて、叱責されたことなんて、ない。もちろん、大人になってからも。でも、こうやって教室の外に引っ張り出されちゃう子たちはかなり頻繁に教室の外に引っ張り出されている。こういうことって、明らかに差別だし、とても体罰に近いよな…と思うのです。小学校なら外に引っ張り出されないけれど、特別支援学校だと外に引っ張り出されちゃうの?と。

そもそも、納得して、次の行動が変わるのが良いのに、教室の外に引っ張り出されて、叱責されて、次の行動が変わるのなら、それは「恐怖」とか「ストレス」に裏打ちされて学習されたものになる訳で。そんなのが連なって学校生活が形成されたら、いつか子どもの心は壊れるし、「恐怖」や「ストレス」が原動力になって主体性なんて育つ訳もなく。その怖い先生がいなくなったら行動が復帰するか、あるいは在る程度心が壊れて、ひたすら指示を待つ人に育つかでしょう?それなら一層のこと、その先生とは接触しない方が良かったのでは?と思ってしまいます。

「この子は何度言われても堪えないから」

…って、人間、心なんてだれも視ることはできないし、自分自身だって記憶の落とし方によっては記憶が脳幹の奥に沈み込んで、それが原因で自律神経失調症やうつが発現することも有るわけで。

なかなか変わらない「叱ることも大切」のマジックフレーズに支えられた、教員『が』切れてしまう問題。

納得してもらうためには、「叱る」の他にどんな方法や作戦が考えられるか?と、みんなが思いを馳せられるようになると良いのに。

以上、具体的な対象をもたぬフィクションとして。

でも、なかなか変わらない現場への苛立ちを少し含んで。

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2015年06月16日

『デジタル教材コンクールで優良賞をいただきました』

 一時、大きな議論のあった性教育教材だったので、「ちょっと評価がつきづらいかな…」とも思っていたのですが、学習デジタル教材コンクールで優良賞をいただける運びとなりました。

桑ぴょんの特別支援教育マラソン3.0 あわい
『性教育教材のオープンリソース化』−特別支援教育に焦点を当てて− 


 昨年は特別支援教育にスポットを当てたデジタル教材のオープンリソース化で「日本児童教育振興財団賞」という賞をいただき、今年は特別支援教育にスポットを当てた性教育教材のオープンリソース化でのチャレンジでした。
http://www.gakujoken.or.jp/ghp/concul/sokuhou27.html

 障害があろうがなかろうが、恋愛もできるし、結婚もできるし、性生活も営める。いつか恋をする君のために教材を作りたい。

 そんな思いで作ってきました。8月7日には筑波大学にて実践発表も行います

 これを1つの励みにして、また一歩、幸せって何だろう?自分の誕生を肯定するって何だろう?自分自身のこういう考え方をもう一度疑うとどう見えるだろう?と問いを重ね、ひたむきに真実を追い求める歩みを進めていければと思います。

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2015年06月06日

下関知的障害者施設虐待を観て

 多角的に観なければいけないこの事件。

 まずは人権という視点から「障がいのある人の尊厳」について、もっともっと啓発をしていかなければならないということ。悲しいかな特別支援学校の中にだって、小さな火種はある。子どもと納得し合いながら前に進むこと、子どもと一緒に学校生活を作り上げていくこと、細かな所では呼び方、その声色、表情。その一つ一つが「障がいがあるからという理由で損なわれる」ことが無いようになっていくと良いな…と感じましたし、自分自身もその一つ一つを大切に大切にすることによってナチュラルに自分の周りから人権意識を高めていければと感じました。

 二つ目。仕事量少なくリーチできて、使うと効果が高い方法や、支援具、教材の充実について。特別支援学校でもそうですが、この意識が少ないと、結局昔ながらの小学校で行われていた「厳しく指導する」が横行して、子どもたちが萎縮して、効果が上がったように見えてしまうことがその先生を強化してしまって、その先生はそこで得た「厳しく指導することは正義だ」という信念をもってしまうという悪循環。「悪いことを下から叩いた、叱責した、指導が行き過ぎた」。ただ単に暴力を否定することに留まらず、体罰や虐待の裏には他の方法を知らなかった、ないしは知っていたけれど、自分自身のゆがんだ正義を疑うことをしなかったということにも問題は隠れています。

 三つ目は、家族が知的障がい者施設に通う者としては、非常に不安になるニュースでした。一時的な抑止力、ないしは議論のきっかけとしても刑事事件として大きく取り扱って欲しいし、議論されて欲しいと感じました。

 以下に動画と関連資料を掲載します。



『障害者福祉施設等における障害者虐待の防止と対応の手引き』平成27年3月
厚生労働省 社会・援護局 障害保健福祉部 障害福祉課 地域生活支援推進室
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12200000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu/0000079704.pdf
posted by 桑ぴょん at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 指導・支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする