2015年05月30日

その「叱り」って、本当に効果でていますか?

「たまには叱ることも大切」
「しっかりと叱らないと躾にならない」
「10褒めて、1叱る」

などの江戸時代から伝わるであろうことわざの下に、

「今日は叱りつけたからこたえていると思いますよ」
とか、
「悪いことだと思ったんじゃないですか、叱られたんだから」
とか、
「あれは叱らなければいけない場面でしたね」
とか、
訳のわからない主観的な評価が成されて(これって、往々にして叱った側の大人の自己肯定や自己強化だったりする訳だけれども…)、ただ大人がスッキリしているだけの叱りが横行しています。

そもそも、叱ることって「行動を変えること(行動変容)」が成されるか、成されないかの評価が命のはずなのに、

「悪いことをしたら叱られるものだ」

というステレオタイプが先行して、評価が落ちがちです。(学校の先生でもこのステレオタイプで止まってしまっている人、多い印象があります)

さて、そこで一つ、考えて欲しいのです。

その叱りって、本当に効果出ていますか?

次回の行動を変えられるだけの効果を、その叱りはもっていましたか?

叱るより、他の方法の方が、効果が高いんじゃないですか?

叱って、全てを否定するだけのことだったでしょうか?

全てを否定して叱ることが必要な場面がゼロと言っているのではないのですが、そこまでして、子どもの自信や子どもとの信頼関係、その場にいる人の心の安定などその全てを投げ打って叱るだけの機会って、そうそうないのだと思うのですが…。

叱ることは簡単。でも、いかんせ、効果が出にくい。

指示が感情的で、抽象的になりやすいから。
本当ならどうすればよかったのかの迂回路が示されにくいから。
次の主体的な行動には繋がらないから。

その叱りって、本当に効果出ていますか?

支援者である自分をスッキリさせるために、自分のヒステリックさのために、自分の短気のためにそれを出しているのであれば、効果のない、ただの体罰と紙一重なのだと自分を疑う機会を大切にして欲しいし、自分自身も引き続き気をつけていきたいと思っています。

支援者である自分がイライラしているだけなのなら、帰りにカラオケでも寄って帰れば良いし、美味しいもの食べて帰ればいいし、タバコ吸って帰ればいいし、ビール飲んで忘れればいいんだ、と。
posted by 桑ぴょん at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 指導・支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

教育しているつもりに陥ってしまう「言語指示多投」の罠

自戒を込めて。

「おはよー。じゃあ、まず連絡帳を出して」
「ハイ次は水筒」
「カゴを持って」
「何やっているの、早く着替えて…」


 逐一、子どもが次に行う行動を先回りして出されているような言語指示。言っている方は、ややもすると

「適宜、適切な指示を出すことができている」

 と自己満足に陥ってしまいがちですが、とんでもない。こうやって指示を出し続けて、「その大人の指示なくしては動くことができなくしてしまうこと」は、自立とは逆行させているよね…と思うのです。大人が子どもを従わせているだけ。

 「自立」へ向かえるようにする支援とは、必要な時に適宜助けを求めながらも、首尾よく成し遂げられる環境の中で、物事を成し遂げ、豊かな生活を送れることを支えること。決して「言われたことの通りに物事をこなすことができる」という、体良く「従う」ことへ向かう支援ではないです。言語指示のやたら多い支援者は、自立とは逆行させている。「わかって、できる」ということは即ち「自立」を目指せるようにすることであり、「身近な大人の指示なくしては動けない状況」にあるのならば、従属させていると。

先日「叱らない支援」は本当に合っているのか?という貴重な投げかけをいただきました。

 「叱らない教育」自体が合っているのではなくて、

「自分で次にやるべきことがわかっていて、やって、それが嬉しいと感じている」
「自分で目標をもつことができていて、それに自ら向かえている」
「環境設定の下に子どもが自らそういうのができる」

 などが「叱らない教育」だろうと。何の準備・配慮もなく教育しながら叱らないっていうのは違うだろうと。…っていうか、その状況下で叱られるとしたらむしろ準備・配慮を何もしていない支援者の方だよね…と。…そもそもアセスメントを取ってみると名詞理解、動詞理解ができていない子に言葉の雨あられが降っているという恐ろしい自体も有るわけだけれども( ;´Д`)

 
支援する側は教材をたくさん作って、あとは黙る。


 子どもは決して「従わせる対象」ではない。子どもは自ら学び続ける主体である。

 言語指示を多投する支援者は「ヘタクソ」だし、その子を自立を遠ざけているんだぞーなんて、最近研修でお話をする機会も多いので、より強く思っています。

 自戒を込めて。

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
クリックが「読みました」の「匿名玉入れ」みたいになっています。よろしければご一読後にクリックしていただけると(1回/dayが上限です)次回への更新意欲につながりますm(_ _)m
posted by 桑ぴょん at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 指導・支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月06日

「私はお花屋さんとお嫁さんになりたいんです」から始まるキャリア教育

もう、6年以上も前の話になりますが、当時、隣のクラスの女の子に

大丸1大丸1︎さんは卒業したら何になりたいの?」

と聞いたら

「私はお花屋さんとお嫁さんになりたいです」

と教えてくれたのを最近よく思い出します。その時にはおそらく

「そっかー、良いねー。先生の中だとどの先生がタイプなの?桑村先生?」

などと不謹慎な返し方をしてしまったと思われるのですが(無念…)、今、考えてみるともっともっとこの女の子の将来へのねがいに寄り添って、一緒に将来に向かっていくことができたんじゃないかな…と思うのです。

「お花屋さんになるにはどんなことができるといいかな?」

大丸1大丸1︎さんは、笑顔が素敵だから、その笑顔は大切にしていこう」

「お花屋さんになるには何がヒケツか一緒にお花屋さんに聞きに行ってみようか」

「お嫁さんになるには何がヒケツか、学校の先生たちに聞いてみようか?」

などなど。目指すべきものがあって、それに向かう意欲があって、現実に一歩一歩ではあるけれど、それに進んでいく。障がいがあることによって、ウサギの歩みでは目標に迫ることは難しいかもしれない。でも、愚直な亀で良いから、一歩一歩進むことで、確実に目標に迫ることができるし、それによって自分を成長させることができるんだよ、と。それこそ、基礎的汎用的な能力に係る事柄であり、キャリア教育の根幹を成すものだと。

そして、ゴールを迎えた時に、障がいの有無なんて関係ないのだと。知的障害だなんて、ただの知的能力の個体差の連続体の話であって、努力したり「助けて」と言えるようになることによって如何様にもなるものであり、何の職業でもなれる、結婚もできるのだと。

子どもがなりたいもの、目指しているものをもっともっと大切に、一緒に寄り添ってゴールに向かっていくことができれば…と考えています。
posted by 桑ぴょん at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | キャリア教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月05日

子どもも自分の目標がわかって、それに向かっていくことができるようになるような工夫も

個別の指導計画とにらめっこ。どうやって、お母さん・お父さんと、子ども、もっともっと言えば、一緒に組んでいる先生や学校中の先生たちのやる気スイッチをONにするかを考えています。その中で、子ども本人と目標についてを少し。

これからご家庭と相談しながら定めていく目標たち。子どもに目標は伝えずに、楽しく生き生きとした活動の中でいつの間にかできるようになって行くような目標もあるし、あらかじめ目標を子どもと確認して、そこに一緒に向かっていく目標もあるよね…なんて思っています。例えば、集団社会性に関わるような、友だちと仲良くするというような目標は本人には伝えないような目標だけれども、名前がひらがなで書くことができるようになるとカッコいいよね〜みたいなことについては、もっともっと伝えていいってもいいのかな…と。

自分で目標を決めて、自分で自分を磨いていく人材の育成は第2期教育振興基本計画でも目玉になっているところですし、本人のしたいこと、なりたいことを大切に、それを目標として子どもが自ら成長していくことができるようにしていくことはキャリア教育の根幹を担うことでもあります。

 目標をもって、それに向かっていく。そして、それを達成する心地よさや爽快感みたいなものも十分準備をした上で感じられるようにできていくといいな…なんて思っています。

 
にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
クリックが「読みました」の「匿名玉入れ」みたいになっています。よろしければご一読後にクリックしていただけると(1回/dayが上限です)次回への更新意欲につながりますm(_ _)m
posted by 桑ぴょん at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 指導・支援 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする