2019年01月14日

この歳になって改めて教育基本法を読んでみると…

普段、学校の先生の業務を遂行する上で教育基本法自体を読み返すことなんて無いのですが、今、新学習指導要領改訂に伴う仕事を進めているので、久しぶりに確認する機会がありました。年を積んでから読み返してみうると、感じ取れることも増えているもので…。

-以下、抜粋-

(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

-抜粋終わり-
出典:文科省HP http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/06042712/003.htm

障害のある子どもは教育基本法に当てはまりづらいかというと、寧ろその逆で、障害のある子どもだからこそ、教育基本法の理念と理想をしっかりと確認をしていかなくてはいけないのだと思います。もっと言うと、最重度といわれる発達がとても緩やかな子どもたちにも、日本の教育の理念と理想の実現を確実に目指して教育を施していく意識をわすれずにもって日々の教育活動に臨まなければ…と。

「豊かな情操」、「道徳心」については、自閉症のある人の自閉症スペクトラム障害に起因する特有の世界観と、周りの人の文化との折り合いをどう付けていくのかということをデザインしながら、教えていかなくては…と感じます。自閉症のある人の世界観を全て無理矢理に周りの文化に合わせるのではなくて、何は合わせなくてはいけないのか、そして何はその人特有の世界観として残し、伸ばせるのか…とか。

また「職業」「勤労」については、「働く」にどうつなげていくのかを低年齢段階から捉えながら教えていかなくてはいけないな…と思います。学力保障、確かな学力に基づいた教科別の指導の中での知識・技能の獲得と、その知識・技能を『生きて働く知識・技能』に昇華していく各教科等を合わせた指導。また各教科等を合わせた指導の中での経験や価値付けされた知識・技能を、裏付けていくために戻る各教科の指導。今回の学習指導要領改訂の柱でもある「単なる知識・技能の収集からの脱却と生きて働く知識・技能の獲得への挑戦」を各教科の指導と各教科等を合わせた指導を往来する中で、実現していく。そしてそれが「働くこと」に向けられている。自分自身の日々の教育活動もそうなのですが、学校自体のカリキュラムもそのようにマネイジメントしていけるといいなぁ…と思います。

年を積むと、色々とうんちくが増える分だけ、面白く読めるようになるなぁ…と思います。
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2019年01月06日

自分実験:毎日寝る前に「今日も幸せだった。申し分ない」と呟いてみる

タイトルの通り、呟いて自己強化することによって、毎日寝る前に小さくガッツポーズしてみようかと。逆説的には毎日小さくガッツポーズ出来るように頑張ってみようかと。頻度は無理ない範囲で、なるべーく頻繁になるように。評価は質的になるかと。イライラ、セカセカ、ドンヨリしがちなので、自分のご機嫌を、できるだけ自分でとって、出来るだけ終始にっこにっこにーと言っていられることに向けての自己実験。一年の計。もう6日だけんど。
posted by 桑ぴょん at 01:25| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月04日

「自立と社会参加」を具体的に言い換えてみたらどうだろうか

特別支援教育の到達目標として「自立と社会参加」という言葉があります。インクルーシブ、基本法、総合支援法、差別解消法と照らし合わせてみても違いないのですが、その具体的な手応えというか、現実感が、高3→高2→高1→中3→中2→…小3→小2→小1と低年齢になるにつれて、担任教員を主語として、薄れていくなぁと感じます。例えば、接客やビルメンテ、食品加工などの科を持つ高等部にいれば、自立と社会参加は目の前にある目標なのですが、小学部の先生にはどうも遠い。教育課程の縦の繋がりとか、学力保証の問題が研究テーマとしてよく取り上げられて、わたし自身もやりましたが、小学部の先生の熱量が何かイマイチ…。「自立と社会参加」という言葉が抽象的すぎるのかな…と感じていました。理念と理想を読み解く際には、それは文化と土壌の違う先進国から来たものも少なくないので、今の日本の、この学校の周りで…と考えるのがリアリティが出るのかな…と。取り敢えずわたしの周りでは週5で働いて、週休2日で休み。都市部なので福祉サービスも受けやすいので総合支援法を紐解きながら7日間を肉付けして…という感じです。どんなに障害が重くても、この子は福祉サービスを受けながら週5で働いて、週休2日でリフレッシュする生活をするんだと、リアリティをもって行けると、日常生活の指導や、言語指導、遊びの指導、生単なんかは特に変わって行けるのかなぁ…なんて。目の前の子たちを見ながら「みんな結構すぐに大人になって、みんなちゃんと働いて、生活して、親孝行して、願わくばステキな恋をするんだぜ」と自分自身も定期的に思う様にしています。

この子たちはもう時期に働いて、生活をしていく。それに当たって、私は何ができるのか、これでいいのだろうか、って問い直せるといいなぁと、自戒も込めて。
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2019年01月03日

北風型の先生と太陽型の先生と棋手型の先生

久し鰤に投稿します。投稿をお休みしていた間、出版に関わるお仕事を三年半勤めたり、自身の子供が何人も生まれたり…と、様々な変化がありましたが、今年は一年の計を学校教育の何気ない場面について週1くらいのペースで問い直すことに設定し、365÷7=52.…だから53回を目標にして始めていきます。

さてさて、タイトルについて。

この手の話になる時には教員の「その場での」接し方に焦点が当たりがちですが、大事なのは事前準備にあたる段階で、文脈によっては「どっちもダメ」な場合も。例えば、先生が事前準備をしなかった結果子どもが混乱したとしたら、「ダメでしょ」という北風な指導は論外でしょうし、「混乱しちゃったんだね、よしよし」という指導も「原因はあなたですけどね…」とツッコミが本来入るような対応だと思います。

この時代、太陽型支援の先生がよさそうに見えますが、準備なしに太陽型支援するのもNG。2手先、3手先で待っている棋手型支援で自分もありたいものだと思います。目指せ支援界の藤井聡太くんです。
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2016年07月26日

今日起きたことについて。

僕ら、障害のある人を支援する立場の者は、障害のある人が、自分の言うことを聞く人の育成を目指すのではない。そういう意味での、良い子、良い人、扱いやすい人の育成を目指すのではない。人から愛される人の育成を目指していて、人から愛される安心や充足をたくさんたくさん感じて欲しいと思っている。たくさんの愛を受けてきた人、これからも溢れんばかりの愛を受けるであろうだった人の命が今日、狂った主張を持つ者の奇行によってたくさん奪われた。障害者施設に最愛の家族を預けている家族として悔しい。悲しい。犯人を幾万本の針で刺して報いを受けさせてやりたい。生皮を剥いでやりたい。「愛さること」に障害の有無の垣根は断じて無い。犯人の発言が読み上げられる度に眉間にしわを寄せ、強く拳を握っている。
怒っている。すごく怒っているよ。今日は怒り狂っている。怒りを力に変えて前に進まなければいけないのはもちろん分かっているけれど。
posted by 桑ぴょん at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

自閉症スペクトラム障害のある児童への読み聞かせをことばの育ちにつなげていく難しさについての現場で感じている肌感覚

 自閉症スペクトラム障害(以下ASD)のあるお子さんといっても、本当に多様なのですが、一般的にASDのあるお子さんはある特定場面で学習した成果を、他の場面でも発揮できるようにすること(般化)に苦手さがあると言われています。

 私はこの3年は小学部にいるのですが、特に絵本の読み聞かせの際にASDのあるお子さんのもつ般化の難しさを感じます。

 認知学習では発達段階が1〜2才半ほどのASDのあるお子さんを担当することが多いのですが、例えば「ごあいさつあそび」といったタイトルの物を読むと、定型発達の1〜2才半のお子さんは日常生活の場面に「いただきます」「ごちそうさまでした」「バイバイ」といった言葉が般化していきますが、ASDのあるお子さんは「ほら、あの本のセリフだよ」といってもなかなか言葉が出てきません。(こと、挨拶に関しては社会性の困難さも関わっていると思いますが)他の「あっ!」といったようなオノマトペや擬音語(「チクチク」「ブッブー」「カンカンカン」「ボーボー」などなど)を取り扱った絵本についてもなかなか日常生活に言葉が拡がっていきません。つまり、読み聞かせについては、定型発達とASDをもつお子さんの間には大きな違いがあると感じています。

 絵本を読むこと自体が自立した余暇活動の時間を過ごす1つの選択肢になることを目標として取り組むのであれば、特段の工夫は必要ないのかもしれませんが、絵本を使ってことばを育てていこうとするのであれば、般化したい場面に絵本の特定の場面をカード化して持ち出すなどの視覚支援が必要であるように思います。

 余談ですが、面白い手法としては「パワーカード」というものもあります。


 あとは、読み聞かせという活動を言葉を育てる際の題材として選定をせず、コミュニケーションを取ること自体がダイレクトに興味のあること、好きなもの、食べたい物につながっていて即時強化される用なものを題材として選定するか…。

 自閉症スペクトラム障害のある児童への読み聞かせをことばの育ちにつなげていく難しさについての現場で感じている肌感覚として最近はこんなことを考えています。

 
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2016年05月04日

学校の先生は「子どもの笑顔」を自分自身の好子としすぎないように注意しなくてはいけないなと…

「子どもの笑顔が好きです」

とは、神の啓示のようなことばなのですが、学校の先生でこれに執着しすぎてしまうと時として不適切な方向への学習を助長してしまうことがあるように思います。

私自身がこのことを多く感じるのがダウン症のあるお子さんへの指導場面です。

ひとえにダウン症のあるお子さんは…とするつもりは毛頭ありませんが、ダウン症を附帯するお子さんは視力の弱さを伴っていたり、聴力の弱さを伴っていたり、手指の運動や感覚の鈍さを伴っている場合が多くあります。誤解を恐れず、敢えて、分かりやすく言うのであれば目や耳から情報を収集することが苦手なために大きなアクションを伴う目や耳から入力される情報を拾いがちで、手を使って外界探索をする場合にも大雑把に、そして強めのレスポンスを期待して働きかけることが多いです。そして、その期待していた大きなリアクションや強めのレスポンスがあった場合に…「笑顔になる」。

先生を強く叩いて呼んだとき、ドアを強く閉めたとき、座り込んで動かなくなった時に先生が「何やってるんだ〜!」と大きな声を出したとき、まるでプロレス技のようにぶつかってきたとき…等です。

笑顔が嬉しくて、笑顔が愛らしくて、子どもが笑顔になってくれるなら、思わず適切な行動かどうかを精査することを忘れて受け入れたり、時として不適切な行動を誘発してしまう。

子どもの笑顔が好きなことは良いこと、美しいことに思えるのだけれども、それだけじゃいけない。

学校の先生は「子どもが好き」であるとより良いとは思うけれど、土台の部分には「子どもを成長させるために支援することが好き」、「子どもが自ら伸びゆけるように状況づくるのが好き」というのが基礎であり、本質であり、土台である、と。

余談ですが、祖父や祖母は味方であると同時に、甘やかしの温床であると言われますが、上記と同様の事象に拠るのだと思います。孫のことが大好きで、孫の笑顔が強力な好子として作用しすぎているので、適切な行動かどうかを十分精査せずして、全てを強化してしまっている。

学校の先生は「子どもの笑顔」を自分自身の好子としすぎないように注意しなくてはいけないなと…「子どもを成長させるために支援することが好き」、「子どもが自ら伸びゆけるように状況づくるのが好き」というのが基礎であり、本質であり、土台である、と思います。

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2016年05月03日

一回くらいの誤学習なら泳がせておいても、次回の環境変えでちゃんと修正するよ!というくらいの余裕を持って支援しても良いのではないかと…

 特別支援学校の先生をしていると時々聴くセリフ。

「誤学習してはいけないから、しっかりと叱っておきます」

 先生は何だか真剣に怒って子どもが泣きじゃくる中、課題を最後までやらせたり、ひっくり返したおもちゃ箱を手をクレーンのようにして片付けさせたり、床にひっくり返した給食を片付けさせたり。

 …一見、正しそうに聞こえるのだけれど、この対応が効果的なのは比較的発達の速い、軽度のお子さんにであって、こういうことをしてしまいがちな比較的発達のゆるやかな、重度のお子さんには、冷静に見ると効果を上げていないことも多いように感じています。

・お友だちを叩いてしまったとき
・給食のお盆をひっくり返して、床にぶちまけてしまったとき
・教室を飛び出していなくなってしまったとき
・課題のプリントをびりびりに破いてしまったとき
・トイレットペーパーを丸ごと便器に流してしまったとき
・洋服のタグが気になって、服ごと破いてしまったとき


 …そんな時に、

「誤学習をさせてはいけないから、しっかり叱っときます」

 なんて言って、ここぞとばかりに先生怒る、発達の緩やかな子ども大泣き、でも環境を変えないから子どもは近々に誤学習2回目…って結構ある。

 大切なのは次回の行動が変わるということなので、1回の誤学習の機会くらいだったらその行動が正解ではないニュアンスを伝えるに留まるか、無駄に強化したいためにスルーして、心の中では、

「次回にはその行動が出なくなるように作戦替えするからねー!」

 と環境変えに闘志を燃やす方が余程建設的
。もちろんABC分析を基にして。

 誤学習は確かにしてほしくないけれど、1回の誤学習の回避のために、さしたる準備もない中、子どもがワンワン泣く中で、

「課題継続!」
「片付け終わりまで先生が腕をガッチリホールド!」

 でも、次回環境を変えずして臨んで、結局誤学習2回目…。。。って、なるよりは、

「誤学習の1回くらい、次回の環境変えでひっくりかえしてやるからなー」

 と静かに闘志を燃やして、環境が変わったから2回目の誤学習のチャンス無し!を目指していけたらな…と思っています。

 寝起きの文章でうねっているけれど。つれづれなるままに。

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2016年05月01日

自閉症の特性が原因となって見通しがもてないのか、発達段階が原因となって見通しがもてないのか

 個別支援計画を作成する季節です。特に自閉症スペクトラム障害(以下ASD)のあるお子さんへの支援で登場するのが「見通しをもてるように支援をする」(正確に書けばもちろん「Aという時にはBという支援があればCという見通しを持つことができる状態になる」ですが)という記載なのですが、

ASD=見通しをもつことに困難がある

 ということは確かにそうなのですが、認知発達が2歳齢以下のお子さんについては認知発達の緩やかさが「見通しをもちづらい」「切り替えが難しい」と見取れる行動の原因になっていることが多い印象を受けています。

 認知発達が比較的速い、所謂「軽度」と言われる自閉症のあるお子さんと、認知発達が比較的緩やかな、所謂「重度」のお子さんがいて、特に「重度」のお子さんの分析をする場合には、自閉症の特性と一旦分けて、例えば1歳齢、1.5歳齢の発達段階にあるお子さんの見通しのもてなさはどうであるのかを認識して、それに加えて自閉症の特性を考えていくということが大切なのではないか…と最近感じています。

 1歳齢、1.5歳齢のお子さんは普通に考えて、切り替えはすごく難しいですし、自分が思い込んだ事柄と違う事柄に進んだ時に混乱してしまうのは、寧ろ発達段階としては「順当」と捉えられる訳なので…。

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2016年04月29日

力は入れ方が分からないと、抜き方も分からない

 何だか肩が碇っていて、窮屈そうだな…と見ていると、今度は疲れちゃって床に「ぺたん」と寝転がって「はぁ〜」と力を抜くようなお子さんを小学部低学年ではよく見かけます。そういうお子さんには「力の抜き方を教える」という行為が必要になりますが、

「力を抜いて〜」

 といってもなかなか力を抜けない。「よーし、音楽に合わせて力を抜いてみよう!」とBGMをかけたのもよろしく「ほらほら、寝て寝て」と言われて床に倒れることを促されるのだけれども、背面の恐怖もあったりして逆にからだは硬直…なんてこともあるわけで。

 「力を抜く」という行為の手前には「力を入れる」という行為が必要。よく研修会とかで「疲れてきたのでからだを動かしてリフレッシュしましょう!」とか講師の先生が言って、手を前で合わせて力を入れて発散!みたいなことをしますが、あれは全くこの発想です。

 @意図的に力を入れて〜A抜く〜。そんなことを遊びの指導の中で少しずつ取り入れている最近です。

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