2016年07月26日

今日起きたことについて。

僕ら、障害のある人を支援する立場の者は、障害のある人が、自分の言うことを聞く人の育成を目指すのではない。そういう意味での、良い子、良い人、扱いやすい人の育成を目指すのではない。人から愛される人の育成を目指していて、人から愛される安心や充足をたくさんたくさん感じて欲しいと思っている。たくさんの愛を受けてきた人、これからも溢れんばかりの愛を受けるであろうだった人の命が今日、狂った主張を持つ者の奇行によってたくさん奪われた。障害者施設に最愛の家族を預けている家族として悔しい。悲しい。犯人を幾万本の針で刺して報いを受けさせてやりたい。生皮を剥いでやりたい。「愛さること」に障害の有無の垣根は断じて無い。犯人の発言が読み上げられる度に眉間にしわを寄せ、強く拳を握っている。
怒っている。すごく怒っているよ。今日は怒り狂っている。怒りを力に変えて前に進まなければいけないのはもちろん分かっているけれど。
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2016年05月05日

自閉症スペクトラム障害のある児童への読み聞かせをことばの育ちにつなげていく難しさについての現場で感じている肌感覚

 自閉症スペクトラム障害(以下ASD)のあるお子さんといっても、本当に多様なのですが、一般的にASDのあるお子さんはある特定場面で学習した成果を、他の場面でも発揮できるようにすること(般化)に苦手さがあると言われています。

 私はこの3年は小学部にいるのですが、特に絵本の読み聞かせの際にASDのあるお子さんのもつ般化の難しさを感じます。

 認知学習では発達段階が1〜2才半ほどのASDのあるお子さんを担当することが多いのですが、例えば「ごあいさつあそび」といったタイトルの物を読むと、定型発達の1〜2才半のお子さんは日常生活の場面に「いただきます」「ごちそうさまでした」「バイバイ」といった言葉が般化していきますが、ASDのあるお子さんは「ほら、あの本のセリフだよ」といってもなかなか言葉が出てきません。(こと、挨拶に関しては社会性の困難さも関わっていると思いますが)他の「あっ!」といったようなオノマトペや擬音語(「チクチク」「ブッブー」「カンカンカン」「ボーボー」などなど)を取り扱った絵本についてもなかなか日常生活に言葉が拡がっていきません。つまり、読み聞かせについては、定型発達とASDをもつお子さんの間には大きな違いがあると感じています。

 絵本を読むこと自体が自立した余暇活動の時間を過ごす1つの選択肢になることを目標として取り組むのであれば、特段の工夫は必要ないのかもしれませんが、絵本を使ってことばを育てていこうとするのであれば、般化したい場面に絵本の特定の場面をカード化して持ち出すなどの視覚支援が必要であるように思います。

 余談ですが、面白い手法としては「パワーカード」というものもあります。


 あとは、読み聞かせという活動を言葉を育てる際の題材として選定をせず、コミュニケーションを取ること自体がダイレクトに興味のあること、好きなもの、食べたい物につながっていて即時強化される用なものを題材として選定するか…。

 自閉症スペクトラム障害のある児童への読み聞かせをことばの育ちにつなげていく難しさについての現場で感じている肌感覚として最近はこんなことを考えています。

 
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2016年05月04日

学校の先生は「子どもの笑顔」を自分自身の好子としすぎないように注意しなくてはいけないなと…

「子どもの笑顔が好きです」

とは、神の啓示のようなことばなのですが、学校の先生でこれに執着しすぎてしまうと時として不適切な方向への学習を助長してしまうことがあるように思います。

私自身がこのことを多く感じるのがダウン症のあるお子さんへの指導場面です。

ひとえにダウン症のあるお子さんは…とするつもりは毛頭ありませんが、ダウン症を附帯するお子さんは視力の弱さを伴っていたり、聴力の弱さを伴っていたり、手指の運動や感覚の鈍さを伴っている場合が多くあります。誤解を恐れず、敢えて、分かりやすく言うのであれば目や耳から情報を収集することが苦手なために大きなアクションを伴う目や耳から入力される情報を拾いがちで、手を使って外界探索をする場合にも大雑把に、そして強めのレスポンスを期待して働きかけることが多いです。そして、その期待していた大きなリアクションや強めのレスポンスがあった場合に…「笑顔になる」。

先生を強く叩いて呼んだとき、ドアを強く閉めたとき、座り込んで動かなくなった時に先生が「何やってるんだ〜!」と大きな声を出したとき、まるでプロレス技のようにぶつかってきたとき…等です。

笑顔が嬉しくて、笑顔が愛らしくて、子どもが笑顔になってくれるなら、思わず適切な行動かどうかを精査することを忘れて受け入れたり、時として不適切な行動を誘発してしまう。

子どもの笑顔が好きなことは良いこと、美しいことに思えるのだけれども、それだけじゃいけない。

学校の先生は「子どもが好き」であるとより良いとは思うけれど、土台の部分には「子どもを成長させるために支援することが好き」、「子どもが自ら伸びゆけるように状況づくるのが好き」というのが基礎であり、本質であり、土台である、と。

余談ですが、祖父や祖母は味方であると同時に、甘やかしの温床であると言われますが、上記と同様の事象に拠るのだと思います。孫のことが大好きで、孫の笑顔が強力な好子として作用しすぎているので、適切な行動かどうかを十分精査せずして、全てを強化してしまっている。

学校の先生は「子どもの笑顔」を自分自身の好子としすぎないように注意しなくてはいけないなと…「子どもを成長させるために支援することが好き」、「子どもが自ら伸びゆけるように状況づくるのが好き」というのが基礎であり、本質であり、土台である、と思います。

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2016年05月03日

一回くらいの誤学習なら泳がせておいても、次回の環境変えでちゃんと修正するよ!というくらいの余裕を持って支援しても良いのではないかと…

 特別支援学校の先生をしていると時々聴くセリフ。

「誤学習してはいけないから、しっかりと叱っておきます」

 先生は何だか真剣に怒って子どもが泣きじゃくる中、課題を最後までやらせたり、ひっくり返したおもちゃ箱を手をクレーンのようにして片付けさせたり、床にひっくり返した給食を片付けさせたり。

 …一見、正しそうに聞こえるのだけれど、この対応が効果的なのは比較的発達の速い、軽度のお子さんにであって、こういうことをしてしまいがちな比較的発達のゆるやかな、重度のお子さんには、冷静に見ると効果を上げていないことも多いように感じています。

・お友だちを叩いてしまったとき
・給食のお盆をひっくり返して、床にぶちまけてしまったとき
・教室を飛び出していなくなってしまったとき
・課題のプリントをびりびりに破いてしまったとき
・トイレットペーパーを丸ごと便器に流してしまったとき
・洋服のタグが気になって、服ごと破いてしまったとき


 …そんな時に、

「誤学習をさせてはいけないから、しっかり叱っときます」

 なんて言って、ここぞとばかりに先生怒る、発達の緩やかな子ども大泣き、でも環境を変えないから子どもは近々に誤学習2回目…って結構ある。

 大切なのは次回の行動が変わるということなので、1回の誤学習の機会くらいだったらその行動が正解ではないニュアンスを伝えるに留まるか、無駄に強化したいためにスルーして、心の中では、

「次回にはその行動が出なくなるように作戦替えするからねー!」

 と環境変えに闘志を燃やす方が余程建設的
。もちろんABC分析を基にして。

 誤学習は確かにしてほしくないけれど、1回の誤学習の回避のために、さしたる準備もない中、子どもがワンワン泣く中で、

「課題継続!」
「片付け終わりまで先生が腕をガッチリホールド!」

 でも、次回環境を変えずして臨んで、結局誤学習2回目…。。。って、なるよりは、

「誤学習の1回くらい、次回の環境変えでひっくりかえしてやるからなー」

 と静かに闘志を燃やして、環境が変わったから2回目の誤学習のチャンス無し!を目指していけたらな…と思っています。

 寝起きの文章でうねっているけれど。つれづれなるままに。

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2016年05月01日

自閉症の特性が原因となって見通しがもてないのか、発達段階が原因となって見通しがもてないのか

 個別支援計画を作成する季節です。特に自閉症スペクトラム障害(以下ASD)のあるお子さんへの支援で登場するのが「見通しをもてるように支援をする」(正確に書けばもちろん「Aという時にはBという支援があればCという見通しを持つことができる状態になる」ですが)という記載なのですが、

ASD=見通しをもつことに困難がある

 ということは確かにそうなのですが、認知発達が2歳齢以下のお子さんについては認知発達の緩やかさが「見通しをもちづらい」「切り替えが難しい」と見取れる行動の原因になっていることが多い印象を受けています。

 認知発達が比較的速い、所謂「軽度」と言われる自閉症のあるお子さんと、認知発達が比較的緩やかな、所謂「重度」のお子さんがいて、特に「重度」のお子さんの分析をする場合には、自閉症の特性と一旦分けて、例えば1歳齢、1.5歳齢の発達段階にあるお子さんの見通しのもてなさはどうであるのかを認識して、それに加えて自閉症の特性を考えていくということが大切なのではないか…と最近感じています。

 1歳齢、1.5歳齢のお子さんは普通に考えて、切り替えはすごく難しいですし、自分が思い込んだ事柄と違う事柄に進んだ時に混乱してしまうのは、寧ろ発達段階としては「順当」と捉えられる訳なので…。

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2016年04月29日

力は入れ方が分からないと、抜き方も分からない

 何だか肩が碇っていて、窮屈そうだな…と見ていると、今度は疲れちゃって床に「ぺたん」と寝転がって「はぁ〜」と力を抜くようなお子さんを小学部低学年ではよく見かけます。そういうお子さんには「力の抜き方を教える」という行為が必要になりますが、

「力を抜いて〜」

 といってもなかなか力を抜けない。「よーし、音楽に合わせて力を抜いてみよう!」とBGMをかけたのもよろしく「ほらほら、寝て寝て」と言われて床に倒れることを促されるのだけれども、背面の恐怖もあったりして逆にからだは硬直…なんてこともあるわけで。

 「力を抜く」という行為の手前には「力を入れる」という行為が必要。よく研修会とかで「疲れてきたのでからだを動かしてリフレッシュしましょう!」とか講師の先生が言って、手を前で合わせて力を入れて発散!みたいなことをしますが、あれは全くこの発想です。

 @意図的に力を入れて〜A抜く〜。そんなことを遊びの指導の中で少しずつ取り入れている最近です。

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2016年04月23日

キープサイレントについて

自閉症県にある人を支援する際のポイントとして挙げられるキープサイレント(言語指示少なく支援をすること)ですが、キーワードのみ先行して「ただ物静かに支援をすればいい」と捉えている人も少なからずいる印象があります。

静かに支援をするためには、今まで口頭言語によって行おうとしていた(…でも、口頭言語では効果の薄かった)支援分を、他のより効果の期待される支援方法に置き換える作業が必要で、それなくしてただ突っ立って黙っているだけではいい支援にはなりえません。…当たり前だけど。

また、何らかの行動を増やす時にエコノミーシステムを使うとして、好子を社会的な好子で行うとして(「すごい」とか「えらい」とか)、「褒め言葉」自体の効果があまり見込まれないお子さんにそれを使う時には、平時のテンションと、褒める時のテンションのボラティリティで効果を見込む時がありますが、この褒め言葉までキープサイレントのキーワードの元に静かに(テンション低く)やってしまう人もいて、何だかなぁ…と思う時があります。だったら食べ物とかおもちゃの提示を好子にすればいいのに。まぁ、学校ではこの手の好子の提示がしにくいということもあるのでしょうが。

キーワードだけが先行してしまって、その背景が理解されていないとただのやる気のない先生に見える人を生産してしまっている部分もあるんだろうな…なんて、時々感じることがあります。現在の所属の話ではなく。色々な実践を見て回る際に時々感じることとして。


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2016年04月17日

「待つ支援」の前にすること

 特別支援教育において「待つ」ということは1つの支援の大切な形です。子どもが自己選択をし、意思決定をし、納得をして、主体的に行動する。例え失敗をしたとしても、レジリエンスを発揮して、立ち直っていく。その過程を「待つ」。

 その一方で、準備や分析無くして『闇雲に待つ』ことには効果が無いようにも思います。違う言い方をすれば、「教えられていないことは表出できない」とも言えるでしょうか。「待つ」ということは、子どもがいくつかもっている行動の選択肢の中から「選び取る」ことを待ち、それを「行動として表現する」ことを待つのであって、「教えてもいないことを、自然学習することを待つ」のではないと思います。また、4月の初めは「これ、できるかな?」と「待って観察する」ことも多い時期ですが、その「待つ」という行為も引き継ぎの上に立って行うことができれば良いな…と思います。自戒の念も込めて。。。

 まずは子どもを分析して、選択肢となり得る行動を形成する。それからはじめて「待つ」という支援が始まる。そんなイメージの「待つ」です。

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2016年04月16日

クラスで1番最初に取り組んでいること

 最近はFBでの更新が多く、ブログの更新が久しぶりになってしまいました。新しく特学校の先生になった方や新しく特学級の先生になった方向けに少しずつ更新をしていきたいと思います。

 新年度となり、小学部1年生の担任となりました。

 元気な1年生。教室内を構造化しないと教室内を大移動…。このまま2週間も経てば「こらー」「だめー」「いけません」と言われまくって帰る学校になってしまいます。

 色々とするべき事が有って、どれから手を付けようか…と途方に暮れてしまうようなのですが、まず取り組んでいることはエリアを決めて伝える支援です。

 使っているのは以下の2つです。

@ ジョイントマット90cm×90cm
※ 参考までにリンクを掲載しますが、ニトリとかシマホで買う方が断然安いです。


A ケンステップ

 
 特別支援教育では子どもの主体性をひきだすということが大切なのですが(…教育全体でもそうか。)、最初のルール提示の際には、少しグイグイと提示することが大切。

「音の出る本はマットの上で聞こうね」

「ほらほら、マットの上にもっと楽しそうな物があるよ!」

「あら!床の上ではおもちゃ×だけど、マットの上ならおもちゃ◎」

「ねーねー、マットの上で先生とくすぐり歌しよう!」


 事あるごとに、マット〜、マット〜、と言っていた1週間です。コレができたら、次はケンステップへの移行。整列も、ラジオ体操も、よーい、どんのスタートもケンステップを使って。ケンステップの中に入ると何かが始まるよ!と。最初はマットの上にケンステップを載せて。段階的にマットはとって最後はケンステップだけに。

 始めて特学校、特学級の先生になって途方に暮れてしまっている先生は、4月中旬まではこのルール提示だけでも良いくらい。もちろんそれからは「納得して、過ごせること」や「自己選択・自己決定」の支援に入るわけだけれども。

 また、いろいろと伝えるシートもありますので、よろしければご活用ください。
http://kuwapyon.main.jp/

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2015年12月16日

教え方とか、促し方とかは、拡大再生産される

 ある側面から捉えると学校は「適切な行動をシュミレーションする場」です。学校で練習して、実生活へと般化させて維持を図っていく。「教えられたこと」が実生活に般化していくかどうかは、教員にとっての一番の関心事です。例えば、認知学習の時間に絵カードでコミュニケーションをとることを学習して、それがお家で使えるようになるかとか、お店で使えるようになるかとか。

 でも、最近、もう一つの側面として感じているのが、それを教える段階の教員の教え方というか、指導のスタンスというか、指導のイントネーションというか、それ自体が拡大再生産されていくな…ということです。

 絵カードはどういう教え方をされたにしろ、「絵カードを使えるか・使えないか」で評価されるものなのですが、それとは別の側面で、

「○○(名前)!××しなさい!ダメでしょ!」

 と、厳しく指導されると、絵カードが使える・使えないという側面の他で、人との接し方全般に、そのコミュニケーションのキツさが残って拡大再生産されていく。

 一方で、

「伝わるって嬉しいよね。伝わって良かった。伝えられてすごい。」

 と励まされながら指導されると、絵カードが使える・使えないという側面では、キツく指導された場合と同じ効果でも、人との接し方全般にはコミュニケーションの暖かさが残って拡大再生産されていく。

 教えようとしていることに効果が出ているかどうかは、支援に於いて勿論生命線なのですが、教え方とか、促し方とか自体も、拡大再生産されるなぁ…と感じている今日この頃です。

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